大正15年 |
岡田米吉が岡田和洋紙店を開業し、書類、和洋紙、文房具を販売。 |
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昭和06年 | 活版印刷業を開業。 |
昭和08年 | 石版印刷開始。 |
昭和15年 | 活版を手回しから動力へ切り替え。 |
昭和19年 | 空襲を予想して旧温泉郡湯山村に機械諸設備を移転疎開。 |
昭和20年 | 松山空襲で工場が焼失。疎開先の印刷機は無事だったが、電気が無く昔の手回し印刷機で事業再開。その後、萱町(現在の湊町)に戻り再建復興。 |
昭和30年 | 産業安全に努めた成果に対し労働基準局長賞を受賞。 |
昭和35年 | 経営合理化・技術向上の成果を認められ、中小企業庁より優良工場として表彰される。 |
昭和42年 | 岡田印刷株式会社として法人化。 初代社長に岡田米吉就任。 |
昭和46年 | 二代目社長に岡田徳市就任。 近代化5カ年計画実施により、機械整備自動化達成。 |
昭和50年 | 近代化第二次計画実施。 |
昭和53年 | 軽印刷部門近代化を期し、コウトク印刷㈱設立。 |
昭和54年 | 岡田ビル㈲設立。 三代目社長に岡田紀夫就任。 近代化第三次計画策定、製版部門近代化を期し、岡田印刷グループを形成。 |
昭和55年 | 新社屋(岡田ビル)落成。 |
昭和58年 | さらなる近代化を期し、コンピュータ制御による全自動菊全判4色刷オフセット機スーパー10、及び自動版下作図機を導入。 |
昭和60年 | OA機器販売を目指し、四国ゼロックス㈱(現・富士フィルムビジネスイノベーション㈱)の特約店となる。 企業活性化を期し、TQC運動のキックオフ。 デザイン・企画部門の特化を期し、㈱ナック設立。 オー・エー・サービス㈱設立。 |
昭和61年 | テレホンカード等の印刷を開始。 |
昭和62年 | 岡田印刷グループのイメージチェンジを期し、CIに着手。 |
平成02年 | 四代目社長に岡田浩治就任。 来島紙業興産買収。 岡田印刷グループのブランドネーム「PRINART(プリナート)」誕生。 ラッピング&ギフトショップ「プリナートあそうだ」出店。 |
平成04年 | 来島紙業興産を㈱オカダメガトルに社名変更。 LAN設置による統合業務管理システムを導入。 |
平成06年 | 来るべきデジタル時代に備え、デジタル・プロジェクトチームを発足。 CIを推し進める為、人事諸制度の見直しに着手。 |
平成07年 | 企業活性化の為、「ニュープリナート運動」をキックオフ。 OJT、5S運動を強力に推進。 |
平成08年 | 新たな企業理念及び経営基本方針、そして経営ビジョンを策定。 工程進捗管理システムを稼働。新デジタル統合システムが本格稼働。 |
平成10年 | 職能資格制度を導入。 |
平成11年 | 業務効率化を目指し総合業務管理システム導入。同時に社内ネットワークの再構築実施。 |
平成12年 | 全自動菊全判4色刷オフセット機(ハイデルベルグ・スピードマスター)及び、CTP、CIP3を導入。 |
平成16年 | CTP(PT-R8600)及び菊半裁4色機(リスロン26L-426)を導入。 |
平成17年 | 全自動菊全判2色・1色両面オフセット印刷機(ハイデルベルグ・スピードマスター)を導入。 社内ネットワークのセキュリティ強化及び、個人情報保護法への対応の為、富士フィルムビジネスイノベーション「beat」導入。 社員の会社への貢献度に重点をおく新人事制度を導入(職能資格制度廃止)。 原価管理精度を高める為、総合業務管理システムを更新。 |
平成18年 | 創業80周年。記念事業として自社オリジナルカレンダーの写真を一般公募。 |
平成19年 | 経営体質改善を期し、事業継承及びグループ会社の統廃合により、新生・岡田印刷㈱を発足。 五代目社長に桑波田健就任。 ソニー特約店としてプロメディア製品の取り扱いを開始。 |
平成22年 | 電子ブック作成ソフト(ActiBook)を導入。 印刷精度向上の為、印刷紙面検査装置(Both Σ Sensor)を四国初導入。 |
平成27年 | ドローンでの空撮サービス開始。 |
平成28年 | 創業90周年。 |
令和05年 | FSC®認証(CoC認証【加工・流通過程の管理認証】/ライセンス番号:FSC®-C192308)を取得。 FSC®認証紙を使用した印刷物の受注・製造を開始。 |